VOL.8


短編小説『コメット』

「君! 一体何キロ出してるんだ!。 免許証出しなさい。」
そう言って、その白バイ警官はサングラス越しに鋭い視線をこちらに向けるのだった。
僕はただ黙って免許証を出す。
白バイ警官が何やら質問をしてくるが、僕の頭の中は奈々美の事しか考えられなかった。
“なぜ奈々美は俺のオートバイに興味を持ったのだろう… あの駐車場には俺のオートバイ以外にも何台も止めてあったのに…”

何の反応も見せない僕に呆れ果てた白バイ警官は無線に向かって事務的な口調で伝え出した。
「え〜こちら長野南3号車、大型二輪のナンバー照会お願いしますどうぞ。 え〜ナンバーは、京都 い 1XXX… 」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

伊藤奈々美と出会ったのは公共温泉の駐車場だった。
昨日の出来事がずいぶんと昔の事のように思える。


温泉から出ると先程までの大雨が嘘のように止んでいた。
頭上には真夏の太陽が降り注ぎ僕の肌を小麦色へと変えていく。
「山の天気は変わりやすいと言うが、これほどとは…」僕は独り言をもらした。
雨宿りがてら、温泉に逃げ込んだのは正解だった。
ポツリポツリと降り始めた時、たまたま通りかかったこの公共の温泉の駐車場にオートバイを乗り入れたのだ。
オートバイを停めた数分後には、まるでバケツをひっくり返したような雨へと変わったのだ。
結局僕は雨足が弱まるまで温泉に浸かってこの雨をやり過ごしていた。

僕と同じ“雨宿り組”だろうか、駐車場には僕のカワサキの他に6台のオートバイが停められている。

温泉の入口に備え付けの灰皿を見つけた僕は、今日 3本目のタバコに火を付けながら遠目で自分のカワサキを眺めていた。
水滴の衣をまとった僕のカワサキは太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。

すると一人の女の子が僕のカワサキに近づき、興味深そうにじっと眺め出した。

僕は短くなったタバコの火を灰皿でもみ消し、オートバイの方へと歩き出す。
よほど僕のオートバイが気になるのだろうか、彼女は近づく僕に全く気づかない様子だ。
僕は女の子の背後からそっと声を掛けた。
「君もバイク乗りかい?」
僕の声に驚いた彼女は、後ろを振り返り、「ご、ごめんなさい… この真っ赤なオートバイが気になっちゃって… 」と気まずそうに言うのだった。
彼女は淡いブルーのワンピースがとても良く似合うスラッとした背の高い女の子だ。

色白で彫りの深い顔立ちは、まるで有名なギリシャ彫刻を思わせる。 少し寂しそうな瞳が印象強い。

「驚かせてゴメン。 バイクに興味を持つ女の子ってあまりいないからつい… 君みたいなタイプの娘がバイクに乗っている訳ないよな。 君は地元の娘かい?」と僕は彼女に聞いてみた。
彼女は首を横に振りながら、「いえ、ちょっとした旅行ってとこかな。」と、その少し寂しそうな目をそらしながら答えるのだった。
 
すると彼女は「ねえ、このオートバイはあなたの?」と、さっきとはうって変わって屈託のない笑顔で聞いてきた。
「ああ、 この夏休みを使ってここ信州を思いっきり走り回ってるんだ。」僕はアクセルを回す手振りをしながら答えると
「うわー!すっごく気持ち良さそう!!」と無邪気な笑顔を見せるのだった。
「ねえ、いつもひとりでツーリングしてるの?」
「いや、いつもコメットとふたりで。」
「コメット?」彼女は不思議そうな顔して僕を見る。
「こいつさ。」僕はカワサキのシートに跨がり彼女に振り返る。
「へえ、この子  コメットって言うんだ。 彗星っていう意味かしら?」
「ああ、本当はゼファーっていう正式な名前があるんだけどさ。 俺、昔 アニメでやってたガンダムが好きで、それに登場するシャアって男に憧れてたんだ。
シャアはアニメの中で“赤い彗星”って呼ばれてたんだ。 それでこいつにもコメットって名前を付けたんだ。」
「コメットちゃんか、素敵な名前ね。 はじめましてコメットちゃん、私は伊藤奈々美。よろしくね。」と彼女は言って、僕のオートバイのタンクをなでるのだった。
「ねえ、一度私をコメットちゃんに乗せてくれない?」
「いつでも乗せてあげるよ。 ただし、その格好では乗せられないよ。 バイクに乗るときは、どんなに暑くても長袖長ズボンじゃないとダメなんだ。 
また今度、ちゃんと長袖長ズボンを着てきたら乗せてあげるよ。」
「そう… 仕方ないわね… 」奈々美はとても残念そうに答えるのだった。

「あのさ、君みたいなお嬢さんに言うのは何だけど、オートバイは自分で運転した方が100倍楽しいぜ。」
すると奈々美は「でも、遠くへ行くことに決めたの…」と寂しそうに答えるのだった。
「じゃあ向こうで免許を取ってオートバイに乗るといいよ。」
「ええ、きっとそうするわ。」
奈々美は力強く答えたのだった。

「君はこれからどこへ?」
奈々美は手のひらでひさしを作って周りの山々を見渡して
「そうね、この日本アルプスが一番美しく見える所へ行こうかしら。」と笑いながら答えた。
「あっそうだ。これコメットちゃんに」と言って奈々美は肩から掛けたバッグの中から小さな鈴の付いたお守りを出した。
「このお守り、私が車の免許を取ってすぐの時、オッチョコチョイの私に心配して父がくれたの。」
「そんな大事なもの貰えないよ。」
僕はお守りを受け取ろうとしなかったのだが。
「いいの、私にはもう必要ないから。」と言って奈々美は僕のカワサキのハンドルにお守りを結び付けたのだった。

奈々美は僕の目を見つめて言うのだった。
「ねえ、一つだけ私のお願いを聞いてほしいの。 約束して、このコメットちゃんを一生大事にするって。」
「ああ、約束するよ。コメットは俺の宝物だからね。 一生乗り続けるよ。」
「よかった…」奈々美はまるで自分のことのように喜んだのだった。


奈々美の死を知ったのは今朝の事だった。
旅館で目を覚ました僕は眠い目をこすりながら朝食が用意されている食堂へと向かうのだった。
食堂には1組のカップルが僕と同じく旅館にしてはやや遅いめの朝食をとっていた。

食堂に備え付けてあるテレビでは今朝のニュースが報じられている。
まだ現場での実況報告に慣れていないのだろうか、若手のアナウンサーが言葉に詰まりながらニュースを読み上げている。
ふと画面に 僕が昨日走った信州の美しい道が写し出された。

「え〜たった今、入った情報によりますと入水自殺した女性の身元が判明した模様です。え〜地元警察によりますと、その女性の名は伊藤奈々美さん24歳 東京都に住むOLだということがわかりました。 
伊藤さんは昨夜未明、長野県○○郡のこの川に身を投じたもようです。 現場からは以上です。」


気がつくと僕は上着も着ずにバイクに跨がり、昨日奈々美に出会った場所へと力の限りアクセルをひねっていた。
奈々美に言った言葉を思い出す。「バイクに乗るときは、どんなに暑くても長袖長ズボンじゃないとダメなんだ。」
いつしか僕の目から行き場所を失った涙があふれ出していた。

「何が“ちょっとした旅行”だよ! 何が“遠くに行く”だよ!! 」僕はヘルメット越しに叫んでいた。
スピードメーターの針は振り切ったままだ。

ふと気づくと目の前に数台のパトカーと白バイが目に入った。
僕はとっさに急ブレーキを掛ける。「キィ〜!」とタイヤのきしむ音が山間にこだまする。
コントロールを失った僕のオートバイはガードレールの方へと吸い寄せられる。
僕は渾身の力を込めて左足でガードレールを蹴飛ばした。
「ドンッ!」僕の左足に激痛がはしった
が、なんとかその衝撃で僕のオートバイは止まったのだ。
白バイの警官が「バカヤロー!」」と怒鳴りながら駆け寄ってくる。

「君! 一体何キロ出してるんだ!。 免許証出しなさい。」
そう言って、その白バイ警官はサングラス越しに鋭い視線をこちらに向けるのだった。
僕はただ黙って免許証を出す。
白バイ警官が何やら質問をしてくるが、僕の頭の中は奈々美の事しか考えられなかった。
“なぜ奈々美は俺のオートバイに興味を持ったのだろう… あの駐車場には俺のオートバイ以外にも何台も止めてあったのに…”

何の反応も見せない僕に呆れ果てた白バイ警官は無線に向かって事務的な口調で伝え出した。
「え〜こちら長野南3号車、大型二輪のナンバー照会お願いしますどうぞ。 え〜ナンバーは、京都 い 1073… 」

「えっ?! い 1073?  イ… トウ… ナナ… ミ… 」


日本アルプスに吹く爽やかな風が川のせせらぎと木々のざわめきを使った自然のメロディーを奏でる。
そのメロディーにこたえるように奈々美がくれたお守りに付いた鈴が「チリン…」と音を出す。
僕は鈴の音色を聴きながら奈々美との約束を思い出していた。
「ねえ、一つだけ私のお願いを聞いてほしいの。 約束して、このコメットちゃんを一生大事にするって。」


                               おわり

                                                                                                                   Vol9